FX専業 フォレックスマーケット日々の市況

FXシステムトレードでの戦績(成績)の公表や、為替・金融市場での出来事を紹介したり講評したり。⇦ でしたが、指標や市況をお伝えする感じに変更となりました。

2016/06/17 戦績

2016/06/17 金曜日 戦績

 


 

通貨ペア(06/17)
USDJPY      +181,000円
EURUSD      +207,099円
GBPUSD      +625,665円
AUDUSD      +110,419円
USDCAD      +136,507円
EURGBP      △31,483
TOTAL     +1,229,207円

 

週間戦績(当週)
TOTAL     +4,585,111円

 

月間戦績(06月)
TOTAL    +12,995,079円

 

年間戦績(2016年)
TOTAL   +124,561,706円

 

累計戦績(専業になってから)
TOTAL   +237,147,981円

 


 

 

 

bot更新による戦績数字だけだと寂しい感じなので、百人一首でも一歌づつ載せていきます。

 

小倉百人一首

24番歌

  このたびは     ぬさもとりあへず       たむけやま
このたびは 幣も取りあへず   手向山

もみぢのにしき     かみのまにまに
  紅葉の錦   神のまにまに

かんけ
菅家

 

 

百人一首では菅家さん、本名は菅原道真(すがわらのみちざね)さんです。以前にもコメント欄で登場したのですが、藤原時平さんに騙されまして、大宰府へ左遷され京に戻る事無くお亡くなりになられました。道真さんがお亡くなりになられた後で天変地異が多く起こり朝廷に祟りをもたらしたと言われ、天満大自在天神として祀られる事になりました。太宰府天満宮は学問の神様として有名ですが、この道真さんが神格化して神となっております。自在天神と言うだけあり、学問だけで無く非常に多くのご利益があると言われている少々欲張りなくらいの神様でして、これも朝廷に祟りをもたらしたと言う事から祀られたがゆえかもしれません。

まるで、免罪で火炙りに処され後に聖人として列聖された、ジャンヌ・ダルクさんのようです。

さて歌ですが「旅行く途中で道祖神にお供えする時に用いる幣(ぬさ)と言う布を用意する事が出来ないくらい慌てて出発したため、どうか手向山の見事な錦のような紅葉を幣の代わりにご勘弁下さい」と言う感じの、当時は常識であったはずの神様にお供えする「幣」の代わりになるほど手向山の紅葉が美しい様を詠んでおり、まるでその様子が目に浮かぶようです。

ちなみにこの「紅葉の錦」と言う慣用句は他の歌でも用いられておりまして、他にもございまして

「水のあやに 紅葉の錦 重ねつつ 河瀬に浪の たたぬ日ぞなき」
健守法師

「朝まだき 嵐の山の 寒ければ 紅葉の錦 着ぬ人ぞなき」
右衛門督公任(藤原公任)

「秋霧の 峰にも尾にも たつ山は 紅葉の錦 たまらざりけり」
大中臣能宣

など、古今和歌集だけでもいくつもあったります。割りと好きなんですよね、この「紅葉の錦」と言う言い回し。

 

 

botによる更新

2016/06/16 戦績

2016/06/16 木曜日 戦績

 


 

通貨ペア(06/16)
USDJPY      +854,700円
EURUSD      +433,616円
GBPUSD      +263,904円
AUDUSD       +85,221円
USDCAD      +160,339円
EURGBP       +97,608円
TOTAL     +1,895,388円

 

週間戦績(当週)
TOTAL     +3,355,904円

 

月間戦績(06月)
TOTAL    +11,765,872円

 

年間戦績(2016年)
TOTAL   +123,332,499円

 

累計戦績(専業になってから)
TOTAL   +235,918,774円

 


 

 

 

bot更新による戦績数字だけだと寂しい感じなので、百人一首でも一歌づつ載せていきます。

 

小倉百人一首

5番歌

おくやまに   もみぢふみわけ    なくしかの
 奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の

こえきくときぞ   あきはかなしき
声聞く時ぞ 秋は悲しき

さるまるだゆう
猿丸大夫

 

 

猿丸大夫さん、飛鳥時代から奈良時代頃の歌人さんです。が、ついに実在するのかどうかすら怪しい方の登場です(笑)。柿本人麻呂さんと同一人物であった説や日本中に広がる伝説のため、まるで実は忍者だった説のある松尾芭蕉を思い出してしまったり(笑)。

歌に関しても、原典では「読人しらず」であったり、百人一首に採用された時に言い回しが改変されてたりで、何とも言えません。ただ、秋の寂しさを鹿の声でストレートに表現してある点は、百人一首がまとめられた時代では斬新であったのでは無いかと思います。そのせいで改変された歌もありますので、この歌の改変度合いからしたらストレートさが多分に残っていると感じられます。

 

 

botによる更新

2016/06/15 戦績

2016/06/15 水曜日 戦績

 


 

通貨ペア(06/15)
USDJPY       +61,100円
EURUSD       +47,411円
GBPUSD      +149,077円
AUDUSD       +46,516円
USDCAD       +36,645円
EURGBP       +20,128円
TOTAL       +360,877円

 

週間戦績(当週)
TOTAL     +1,460,516円

 

月間戦績(06月)
TOTAL     +9,870,484円

 

年間戦績(2016年)
TOTAL   +121,437,111円

 

累計戦績(専業になってから)
TOTAL   +234,023,386円

 


 

 

 

bot更新による戦績数字だけだと寂しい感じなので、百人一首でも一歌づつ載せていきます。

 

小倉百人一首

92番歌

 わかそては   しほひにみえぬ   おきのいしの
わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の

   ひとこそしらね     かわくまもなし
人こそ知らね かわく間もなし

にじょういんのさぬき
二条院讃岐

 

 

二条院讃岐さん、うどんが美味しそうなお名前です(笑)。若くして二条天皇に仕出し崩御後の追号が二条院である、また彼女の父は源頼政さんでして讃岐国が父に縁のあるため、このお名前になったようです。

彼女の人生は本当に闇に包まれておりまして、二条天皇に仕えた事までしか正確には分かっておりません。色々な説が出ておりまして、実際のところがどうだったのか誰も分かりませんが、今後研究が進んで何かキーになる事でも発見され、より正しいだろう説はどれなのか判明するまで、ああだこうだ言うのも楽しいかと思います。私としたら、九条兼実家女房として実質的に内縁の妻となった説が面白いかと思いますが。

さて歌の方ですが、和泉式部さん「わが袖は水の下なる石なれや 人に知られでかわく間もなし」の本歌取りですが、讃岐さんの歌は非常に出来がいい(笑)。和泉式部さんは「水の下なる石」と直接表現してますが、讃岐さんは「潮干に見えぬ 沖の石」と言う、平安時代に好まれた間接的な物言いの手法を駆使している感じでして、この歌からなんと「沖の石の讃岐」と言う二つ名が出来たそうです(笑)。

 

 

botによる更新

2016/06/14 戦績

2016/06/14 火曜日 戦績

 


 

通貨ペア(06/14)
USDJPY       +84,700円
EURUSD      +144,899円
GBPUSD      +106,523円
AUDUSD       +51,311円
USDCAD       +82,057円
EURGBP       +26,403円
TOTAL       +495,893円

 

週間戦績(当週)
TOTAL     +1,099,639円

 

月間戦績(06月)
TOTAL     +9,509,607円

 

年間戦績(2016年)
TOTAL   +121,076,234円

 

累計戦績(専業になってから)
TOTAL   +233,662,509円

 


 

 

 

bot更新による戦績数字だけだと寂しい感じなので、百人一首でも一歌づつ載せていきます。

 

小倉百人一首

88番歌

なにはえの     あしのかりねの     ひとよゆえ
難波江の 蘆のかりねの ひとよゆゑ

  みをつくしてや         こひわたるべき
身を尽くしてや 恋ひわたるべき

こうかもんいんのべっとう
皇嘉門院別当

 

 

本日、人名がやたら登場しますので、いつも頑張って敬称"さん"を付けておりますが、今日だけ省略です(笑)。まあ、そもそも"さん"付けが失礼だったりもするわけですが、いつもは親しみを込めてしております。

皇嘉門院別当、女性歌人でして、この時代の多くの女性と同じように本名は分かりません。"皇嘉門院" に仕え "別当" をされていた方です。"皇嘉門院" とは、崇徳天皇の奥様でいらっしゃる中宮の藤原聖子でして、"別当" とは、この場合は聖子の生活を引き受ける院の責任者で家政ならぬ院政の長となり、立場は非常に高い方です。

その高い立場ゆえ、主人である聖子の弟の藤原兼実(後の九条兼実で九条家の祖)が主宰する歌合にも登場し、歌が残っております。兼実、聖子とは異母姉弟でしたが猶子*1となり、同じく異母兄弟である藤原基実(後の近衛で近衛家の祖)の猶子ともなります。兼実のお母の立場は微妙に弱かったのですが、聖子の母は藤原宗通の娘で藤原宗子、基実の母は源国信の娘で源信子と言うチート状態の2人の猶子となる事で、最終的には摂政・太政大臣・関白を勤めます。同じ母の兄弟には、藤原兼房慈円和尚、異母兄弟には二条天皇の中宮になった藤原育子藤原基房(後の松殿基房で松殿家の祖)信円和尚がおります。

正に「藤原忠通帝国」の始まりの体でして、その藤原忠通の第一子で、正室であった藤原宗子の長女、聖子の別当と言えばどれほどの者であったか。

歌の方は、これはまた大胆な歌でして「一泊した旅先でゴニョニョしたら、やべえ本気になりそうだわ、ウハ」って歌です(笑)。ただ、彼女くらいの立場の方ですと、歌が示唆するような本当の行きずりの恋はあり得ないでしょうから、若い近衛か誰かと致してそれを綺麗に歌い、もしかしたらこの歌を詠んだ歌合の時に本人も近くに居て「おい、逃げられると思ってるんじゃねえぞ!」と釘を刺していたのかもしれません(笑)。

 

 

botによる更新

 


*1:義兄弟姉妹など近い者同士で縁組を行い、養子縁組が実親子関係を強制するように、猶子は養子より緩い親子関係を擬制するもの。当然、現代の民法では存在しません。

2016/06/13 戦績

2016/06/13 月曜日 戦績

 


 

通貨ペア(06/13)
USDJPY      +137,400円
EURUSD      +162,341円
GBPUSD      +227,885円
AUDUSD       +34,501円
USDCAD       +73,335円
EURGBP      △31,716
TOTAL       +603,746円

 

週間戦績(当週)
TOTAL       +603,746円

 

月間戦績(06月)
TOTAL     +9,013,714円

 

年間戦績(2016年)
TOTAL   +120,580,341円

 

累計戦績(専業になってから)
TOTAL   +233,166,616円

 


 

 

 

bot更新による戦績数字だけだと寂しい感じなので、百人一首でも一歌づつ載せていきます。

 

小倉百人一首

35番歌

 ひとはいざ   こころもしらず   ふるさとは
人はいざ 心も知らず ふるさとは

はなそむかしの   かににほひける
  花ぞ昔の   香に匂ひける

きのつらゆき
紀貫之

 

 

あの有名な紀貫之さんです。お名前から、階位は五位以下であると推察できますが、なにせ歌人としての能力がずば抜けていたお方でして、古今和歌集になんと102首*1が収録されておりまして、勅撰和歌集全体では430首を超える随一の選歌数となっております。

正直言って、凄いです。ちなみに長歌(ちょうか)とかまで詠っておりまして、あまりにも長いので注釈として記載しておきます(笑)。
(古今和歌集 巻十九 歌番号一〇〇二 漢字かな交じり文*2 原文*3

さて、この歌なんですが……、なぜこれ選んだ?定家さん、なぜこの歌選んだ?

まあ、確かに悪く無いのですが、原典である古今和歌集の詞書によりますと、長谷寺詣の時にいつも宿泊していた宿に久しぶりに行くと「宿は昔のままなのに、随分と来なかったのねえ」と嫌味を言われ、その嫌味に返歌したのがこの歌でして、宿は昔のままに対抗し「花のにおいは変わらないけど、お前のほうこそ、本当にそんなに俺を待ってたのかよ?ん?」って歌です(笑)。「ふるさと」は故郷では無く、昔馴染みって言う意味なんですね。

私の中ではこの2つの歌が、紀貫之さんの詠んだ和歌の中で好きな歌です。
「影みれば 波の底なる ひさかたの 空こぎわたる 我ぞわびしき」
「色ならば 移るばかりも 染めてまし 思ふ心を えやは見せける」
いい歌が多すぎて、一つに決めかねる(笑)。

 

 

botによる更新

 


*1:ウィキペディアには、古今和歌集に101首と記載がございますが、102首だと思います。

*2:ちはやぶる 神の御世より 呉竹の 世々にも絶えず 天彦の 音羽の山の 春霞 思ひ乱れて 五月雨の 空もとどろに 小夜更けて 山郭公 鳴くごとに 誰れも寝覚めて 唐錦 竜田の山の もみぢ葉を 見てのみ偲ぶ 神無月 時雨しぐれて 冬の夜の 庭もはだれに 降る雪の なほ消えかへり 年ごとに 時につけつつ あはれてふ ことを言ひつつ 君をのみ 千代にと祝ふ 世の人の 思ひ駿河の 富士の嶺の 燃ゆる思ひも あかずして 別るる涙 藤衣 織れる心も 八千草の 言の葉ごとに すべらきの 仰せかしこみ 巻々の 中につくすと 伊勢の海の 浦の潮貝 拾ひ集め 取れりとすれど 玉の緒の 短き心 思ひあへず なほあら玉の 年を経て 大宮にのみ ひさかたの 昼夜分かず 仕ふとて 顧みもせぬ 我が宿の 忍草生ふる 板間粗み 降る春雨の 漏りやしぬらむ

*3:ちはやふるかみのみよよりくれたかのよよにもたえすあまひこのおとはのやまのはるかすみおもひみたれてさみたれのそらもととろにさよふけてやまほとときすなくことにたれもねさめてからにしきたつたのやまのもみちはをみてのみしのふ かむなつきしくれしくれてふゆのよのにはもはたれにふるゆきのなほきえかへりとしことにときにつけつつあはれてふことをいひつつきみをのみちよにといはふよのひとのおもひするかのふしのねのもゆるおもひもあかすしてわかるるなみだふしころもおれるこころもやちくさのことのはことにすへらきのおほせかしこみまきまきのなかにつくすといせのうみのうらのしほかひひろひあつめとれりとすれとたまのをのみしかき心こころおもひあへすなほあらたまのとしをへておほみやにのみひさかたのひるよるわかすつかふとてかへりみもせぬわかよとのしのふくさおふるいたまあらみふるはるさめのもりやしぬらむ (原文が "ひらがな" であるのは、紀貫之さんが当時の男性歌人では珍しく "ひらがな" 表記を好んでされていたためです。)