2016/10/21 戦績
昨日から、随分と東京から離れたところへお葬式のために来ております。非常に遠い、私から見て母方の親族でして、本来であれば母ですら香港からやって来て参列するまではしなくてもと言う位の感じなんですが、母の日本への繋がりの中で親戚と呼べる最後の方なので、母の希望で参列する事になりました。
何気なく、親族と親戚と言う言葉を使いましたが、似てるようで意味合い的には全然違うような気もします。ネットで調べますと、親族が法的な正式な言葉であり親戚は一般的な親族の俗称との事ですが、一族や家族、マサイ族(笑)など、身を寄せ合って生きる者同士の繋がりが親族と呼べる "族" と言う集合体で、特別な集合体に感じてしまいます。
同じような言葉の違いに、英語でも "kin" と "relative" と言う2つの単語があります。感覚的に言いますと、明らかに kin の方が強い結びつきを感じまして、relative と言うと若干フォーマルなイメージもあったりします。日本語の親族が法的な正式な言葉と言うのと同じように、relative は英語圏の法律の中でも多用されておりまして、どこの国でも法的に用いられる言葉は、やや遠くそしてフォーマルに感じるのかなとも思います。
日本語のことわざ?格言?に「遠くの親戚より近くの他人」と言うものがあります。英語での直訳はいろいろありますが、これ、私的には跳躍した解釈になりますが「近くの他人」と言うのはそこまで頼れるのであれば、心の中ではもう親族と呼べるほどの人なのでは無いかと思うんです。よく、日本の古いドラマや映画に出てくるような、長老様とか長屋の大家さんとか、そう言うのを連想されます。
英語、と言うか英語圏では、血のつながりと言う事を超越した考え方が割りとありまして、海外の映画やドラマなどでよく見聞きすると思うのですが、強い絆で結ばれた親友同士が「ブラーザー」と呼び合うシーン。あれは、実際に普通にあります。日本風に言えば「友人→親友→大親友→無二の親友→生涯の親友」と言う感じで、どこまで行っても友は友のままでしょうが、英語圏では「友人(Friend)→親友(Bosom(Close) Friend)→生涯の親友(BBF)→兄弟(Brother)」と、最後は親族に昇格します(笑)。
そう言う意味で言えば、日本語の「遠くの親戚より近くの他人」と言う跳躍した英語、超訳では「the next of kin」では無いかなといつも思っております。この言葉は、日本語に訳す時に通常は「最近親者」としますが、むしろそれは法律用語であり気持ちの中では超訳の方がしっくりくるような気がします。もちろん、そんな風に思いながら「the next of kin」を使いますと「はあ?」とか「何言ってんだこいつ?」と思われますので普段は本来の意味でしか用いませんけど。
昨日お通夜で本日がお葬式になってまして、母や私そして妹は昨日のお通夜も出まして、うちの子たちは今日やって来てお葬式だけです。冒頭でお話ししました関係性を考えますと、わざわざ土曜日の学校をお休みさせてまで子供たちにお葬式へ参列させる事も無いのですが、うちの父の方針で参列する事になりました。
どんな方針かと言いますと「亡くなった方が出来る、この世で生きる子供たちへ残せる最後の教育が、自らの死を見せ、生と死を考えさせる事」と言う壮大なものでして、この方針のお陰で、私も妹も小さいころからやたらとお葬式に参列させられておりまして、よく学校を休めて楽しかった記憶がございます。子供ですからね(笑)。
人が亡くなった時にしか考えないような事もあります。うちの父から見て、私や妹はまだ子供なんでしょう。今回のお葬式でも、まだ私や妹に何か学べる事があると父は考えていると思います。同時に、うちの子供たちの私は父ですので、うちの父と同じように子供たちに何かを考えてもらえる機会になればいいと思ってます。
「親族や親戚とは?血のつながりとは?」そう言う家族法的な事も、 「生物の死とは?」と言うような科学的な事も、そして宗教観的な事も、普段はあまり感じられない事を感じてくれればいいなと思ってます。
(昨日の外為市場の講評等は、後ほど追補します。)