FX専業 フォレックスマーケット日々の市況

FXシステムトレードでの戦績(成績)の公表や、為替・金融市場での出来事を紹介したり講評したり。⇦ でしたが、指標や市況をお伝えする感じに変更となりました。

2016/06/13 戦績

2016/06/13 月曜日 戦績

 


 

通貨ペア(06/13)
USDJPY      +137,400円
EURUSD      +162,341円
GBPUSD      +227,885円
AUDUSD       +34,501円
USDCAD       +73,335円
EURGBP      △31,716
TOTAL       +603,746円

 

週間戦績(当週)
TOTAL       +603,746円

 

月間戦績(06月)
TOTAL     +9,013,714円

 

年間戦績(2016年)
TOTAL   +120,580,341円

 

累計戦績(専業になってから)
TOTAL   +233,166,616円

 


 

 

 

bot更新による戦績数字だけだと寂しい感じなので、百人一首でも一歌づつ載せていきます。

 

小倉百人一首

35番歌

 ひとはいざ   こころもしらず   ふるさとは
人はいざ 心も知らず ふるさとは

はなそむかしの   かににほひける
  花ぞ昔の   香に匂ひける

きのつらゆき
紀貫之

 

 

あの有名な紀貫之さんです。お名前から、階位は五位以下であると推察できますが、なにせ歌人としての能力がずば抜けていたお方でして、古今和歌集になんと102首*1が収録されておりまして、勅撰和歌集全体では430首を超える随一の選歌数となっております。

正直言って、凄いです。ちなみに長歌(ちょうか)とかまで詠っておりまして、あまりにも長いので注釈として記載しておきます(笑)。
(古今和歌集 巻十九 歌番号一〇〇二 漢字かな交じり文*2 原文*3

さて、この歌なんですが……、なぜこれ選んだ?定家さん、なぜこの歌選んだ?

まあ、確かに悪く無いのですが、原典である古今和歌集の詞書によりますと、長谷寺詣の時にいつも宿泊していた宿に久しぶりに行くと「宿は昔のままなのに、随分と来なかったのねえ」と嫌味を言われ、その嫌味に返歌したのがこの歌でして、宿は昔のままに対抗し「花のにおいは変わらないけど、お前のほうこそ、本当にそんなに俺を待ってたのかよ?ん?」って歌です(笑)。「ふるさと」は故郷では無く、昔馴染みって言う意味なんですね。

私の中ではこの2つの歌が、紀貫之さんの詠んだ和歌の中で好きな歌です。
「影みれば 波の底なる ひさかたの 空こぎわたる 我ぞわびしき」
「色ならば 移るばかりも 染めてまし 思ふ心を えやは見せける」
いい歌が多すぎて、一つに決めかねる(笑)。

 

 

botによる更新

 


*1:ウィキペディアには、古今和歌集に101首と記載がございますが、102首だと思います。

*2:ちはやぶる 神の御世より 呉竹の 世々にも絶えず 天彦の 音羽の山の 春霞 思ひ乱れて 五月雨の 空もとどろに 小夜更けて 山郭公 鳴くごとに 誰れも寝覚めて 唐錦 竜田の山の もみぢ葉を 見てのみ偲ぶ 神無月 時雨しぐれて 冬の夜の 庭もはだれに 降る雪の なほ消えかへり 年ごとに 時につけつつ あはれてふ ことを言ひつつ 君をのみ 千代にと祝ふ 世の人の 思ひ駿河の 富士の嶺の 燃ゆる思ひも あかずして 別るる涙 藤衣 織れる心も 八千草の 言の葉ごとに すべらきの 仰せかしこみ 巻々の 中につくすと 伊勢の海の 浦の潮貝 拾ひ集め 取れりとすれど 玉の緒の 短き心 思ひあへず なほあら玉の 年を経て 大宮にのみ ひさかたの 昼夜分かず 仕ふとて 顧みもせぬ 我が宿の 忍草生ふる 板間粗み 降る春雨の 漏りやしぬらむ

*3:ちはやふるかみのみよよりくれたかのよよにもたえすあまひこのおとはのやまのはるかすみおもひみたれてさみたれのそらもととろにさよふけてやまほとときすなくことにたれもねさめてからにしきたつたのやまのもみちはをみてのみしのふ かむなつきしくれしくれてふゆのよのにはもはたれにふるゆきのなほきえかへりとしことにときにつけつつあはれてふことをいひつつきみをのみちよにといはふよのひとのおもひするかのふしのねのもゆるおもひもあかすしてわかるるなみだふしころもおれるこころもやちくさのことのはことにすへらきのおほせかしこみまきまきのなかにつくすといせのうみのうらのしほかひひろひあつめとれりとすれとたまのをのみしかき心こころおもひあへすなほあらたまのとしをへておほみやにのみひさかたのひるよるわかすつかふとてかへりみもせぬわかよとのしのふくさおふるいたまあらみふるはるさめのもりやしぬらむ (原文が "ひらがな" であるのは、紀貫之さんが当時の男性歌人では珍しく "ひらがな" 表記を好んでされていたためです。)